県立津山高校 稲葉さんの高校時代を紹介
ギターやドラムの激しいリズム、ステージでは今や絶大な人気を誇るロックグループ「B'z」の稲葉浩志さん(33)がマイクを握る。会場をうめた生徒も一体になって熱く燃えた1日だった。の書き出しで始まる、
稲葉さんをはじめ、津山高校第34期生は80年に入学し、多感な3年間をすごした。県北一の進学校で「大学は国立に行け」が教師の口癖だった。入学直後の試験に、大学入試問題も出された。解ける訳はなく、20点前後がせいぜいだった。英語や古文の小テストは毎時間あった。小テストは、先に終わった他のクラスの友人から問題を聞き出しクリアした。校門に教師が立って調べていた制帽着用チェックには「ヘア-スタイルが乱れる」などと、多くが反発した。数年後に流行した「新人類」との端境期。皆が個性的だった。
修学旅行もなく、「勉強ばかりでいやだった」
「公立大学より、個性のある私立への進学者の方が多かったように覚えてる。こんな事はうちの高校では初めてじゃないかなあ」 コメント:同期生
高校生が聴く音楽もフォークからロックに変わり、2年生の冬、稲葉さんをボーカルにした4人のロックバンド『ICBM』が結成された。ギター好きな頼経さんの呼び掛けだった。テニス部の稲葉さんは練習時の高く大きな声を買われて加わった。
ドラムの小林さんは「突然、『スティックを持って稲葉の家に来てくれ』と誘われた。でも、それでいい思いでができた」と話す。
練習会場は各メンバーの家だ。「うるさいから」と近所に断り、窓は締めきり状態。練習をよく見に行った岡元さんは「あいつら、シャツ1枚で頑張ってた。でも凄く暑かったですよ」と笑う。
表立った活動はしていなかったが、名前は津山市近辺にまで知られていた。最初で最後の公演となった十六夜祭では、他の出演者より2、3倍多い観客が押し寄せた。
最後に「稲葉は夢を持っていたよな、僕らもまだまだ、青春。あいつのように、夢を大切にして頑張ろう」と同級生のコメント
*34期生が入学した80年には、イラン、イラク戦争が始まった。この年の津山市の人口は約8万3000人
1998.4.22.読売新聞~
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